仏教と神道の教えには足らないものがあります。それはイエスキリストという存在です。 権力により処刑され蘇ったイエスキリスト。 イエスキリストを主とする新興宗教があるのも頷ける話です。 日本人達はいざ苦境に立たされればイエスキリストという精神的支柱が ないので挫折をします。イエスキリストという人生の師、人生を歩む上での模範とするべき人がいない。だから挫折をするし諦めるし犯罪もする。人を無料で助けようとも思わない。王族の子孫といえども市民であったイエスキリストが権力を倒したという物語を知らない、イエスキリストは犯罪者として処刑されて蘇り、今やキリスト教徒達にとっての精神的支柱であるということも知らない。ゆえに仏教と神道しか知らない、宗教に対して無知である日本人達は人生で起こる様々な困難に対してなすすべがないということです。私が思うに仏教は土、神道は火、キリスト教は水です(例えるならばです)。
天との繋がりを明確に教えとして採用しているキリスト教。キリスト教徒はお金持ちが多いです。
お金を水で洗うとお金は綺麗になります。そういう意味でポジティブな意味でお金のことを思うことが出来る、それがキリスト教です。お金も綺麗好きですからお金は水を連想させるキリスト教が好きであるということです。
キリスト教特有の繊細な美しさは残念ながら他の宗教では表現が出来ないことです。
私はキリスト教を知ったことにより様々なことが好転していきました。
キリスト教の教えはどれも理にかなっていることばかりです。
隣人を愛せよ。復讐はしない。悪意には悪意で返さない。人間の狭い考えは宇宙の真理ではない、などがそうです。
この世は愛で出来ている事。そういう宇宙の真理を解き明かしているのがキリスト教なのです。
それが出来たら、次にイエスキリストの生涯を学んでいきましょう。